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戦国武将にとって上洛の(分かりやすい)意味は?条件や費用も

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リス丸

上洛のわかりやすい意味を教えて

くま吉

上洛のわかりやすい意味は京都に行くことだよ。
この記事では上洛のわかりやすい意味や家康、戦国武将にとっての意味も紹介するよ。

上洛の意味は?

上洛の意味は京都に行くこと

京都に行くことを「上洛」といいます。
地方から京都に行くことを意味します。

「上洛」は、将軍が京都に向かうことを「京へのぼる」と表現したことに由来しています。「洛」という字には京都という意味があり、今でも「上洛」は京都に行くことをあらわしています。
京都の中心部を洛中と言います。 洛中洛外図屏風などというものもあります。

「上京」は、明治以降、都が「東京」に変わってから、地方から東京に行くことを意味するようになりました。

「上洛」は、大名が軍勢を引き連れて京都に入ることを指すこともあります。
京都に入るということは、日本中に大きな影響力を持つことを意味し、天下統一への大きな踏み台になります。
次の章で詳しく見て行きましょう。

戦国大名にとっての上洛の意味は?

戦国大名にとって上洛の意味は大名が軍勢を引き連れて京都に入ること
天下統一の第一歩

戦国時代の武士にとって上洛の目的は、敵対勢力を排除して、中央政権の主導権を握ることを目指すことが多かったようです。

上洛した大名は、日本中に大きな影響力を持つことになり、天下統一への大きな踏み台となりました。
この意味で戦国大名にとって上洛とは、天下統一への第一歩を指していたのですね。

織田信長は、35歳で上洛し、天下統一への道を着々と歩んでいきました。
信長は、畿内の平和と秩序の維持を考え、かつての管領のような立場で足利義昭を支えようとしたのだと考えられています。

家康が上洛する意味は?

戦国時代の上洛は、敵対勢力を排除して、中央政権の主導権を握ることを目指すことがその目的となることが多かったということは前の章で説明した通りです。

徳川家康は、将軍・足利義昭の命で上洛しました。
家康は、光秀討伐の軍を起こし、若君様である織田三法師(のちの秀信)を供奉して上洛させました。

大河ドラマ「どうする家康」では、家康が上洛する様子が描かれています。

上洛の目的は?

戦国大名が上洛(京へ行く)の目的は次の通りです。

  • 幕府から守護職を任命してもらい、自分の領土や地方統治の名分を得る
  • 朝廷から官位を授かり、自身の権威・発言力を高める
  • 将軍の武威や権勢を示すための一大デモンストレーションとして、大軍を率いて上洛する
  • 朝廷と信頼関係を確立する
  • 幕府と朝廷の関係修復
  • 守護同士で結託して、幕府に反旗を翻すのを阻止する
  • 謀反を討伐する時に京都に守護大名がいると動員を掛けやすい
  • 天下(=畿内)の静謐であり、それは朝廷への奉仕にも貢献するため

京都に入ったということは、日本中に大きな影響力をもつということで、天下統一への大きな踏み台になりますね。

朝廷と信頼関係を結び天下統一するということが目的なんですね。

上洛するための条件は?

上洛するための条件は、朝廷や幕府への献金と、その土地でそれなりの力を持つこと

上洛するための条件は、朝廷や幕府への献金と、その土地でそれなりの力を保持することです。

戦国時代の上洛は、敵対勢力を排除して、中央政権の主導権を握ることを目指すことがその目的となることが多かった。

上洛の費用は?

総費用は百五十万両(約千五百億円)

上洛の費用ですが莫大で驚きました。
前田氏は5億円、北条氏20億円。
最もエコノミーでも数億円かかるということです。

リス丸

想像以上でびっくり


上洛の対義語は?


上洛の対義語は下洛(げらく)

上洛の対義語は下洛(げらく)です。下洛とは、京都を離れることを意味します。
上洛は、京都へ上ることを意味し、広義においては現在の「上京」と同様の意味で用いられていた。「都落ち」は、都から地方に行くことを意味し、上洛の対義語でもあります。